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【作詞】「日本語+英語(その他外国語)」の歌詞ってどうなの?

2020年6月17日




皆様お疲れ様です。AZU(@AZU0000)です。

今更感のある手垢だらけのネタではありますが、ちょっとネタ不足なので敢えて扱ってみることにします。

日本では珍しくもなんともない歌詞の表現として「日本語+英語」ですが、これを当たり前に受け入れる人もいれば、ダサいのでどちらかに統一すべきという人もいます。

まあ、音楽の趣味嗜好なんて人それぞれなので答えは人の数だけあるという感じですね。

私がこの手の話を初めて聞いたのが、大昔に初めてのアルバイト先の先輩スタッフからでした。

その人は完全なイングヴェイ信者で洋楽フリーク&自身もインギーシグネイチャーモデルでクラシカルな速弾きをひたすら決めまくる人でした。

その人が「日本の曲って日本語と英語が混ざってるやん?あれって変やろ。だって表現で言えばAメロBメロと日本語で歌ってるのにサビでいきなり中国語になるようなもんやん?」と。

「絶対どっちかに統一すべきやろ。日本語やったら日本語だけ、英語やったら全部英語。そう思わん?」これが当時の先輩の魂の叫びでした。

個人的には「どうでもええわそんなもん」と心の底から思っていたのですが、波風を立てるほどの話題でもないと判断したので「俺、音楽はド素人なんでよくわかんないっす」と答えました。

ええ、当時は思い切りバンドでバリバリ活動して行けるところまで行ったろうと野心を燃やしていた花の19歳だったのですが…時が経つのって本当に早いものです。

ということで今回は「母国語+外国語」の歌詞について書かせて頂きます。

そもそもロックやポップスは英語圏から来たものだから英語の方がはまりやすい

現在日本で流れているJ-POPは純国産ではなく、海外、特に英語圏の国で作られた音楽を元にしてここまでの形となっています。

なので基本的にロックのメロディには英語の方が自然に馴染むのは当然だと言えます。

日本語だと間延びしてしまうような言葉でも英語だとシャープにクールにキマることも多く、邦楽においてもワンポイントで英語を入れることによってメロディ全体のしまりやキレが良くなります。

また、基本的に音楽業界における楽曲制作はメロディ制作が先行した「曲先」なので歌詞は作られたメロディにはめ込む形で書くことになります。

その際に与えられたメロディの音数が少ない時、英語であれば日本語よりも短い言葉で情報を詰め込めると言う利点もあります。

もちろん言葉の表現によってはその逆もあるので、作詞家はその辺りの言葉選びのセンスというものが非常に問われます。

 

海外でも結構「母国語+外国語」の表現は珍しくない

よく海外のサイトで「日本の音楽って何で英語が混ざってんの?」的な話題が挙がるようですが、別にこの表現方法はどの国においても大して珍しいことではありません。

英語圏の国の楽曲で「英語+イタリア語」や「英語+フランス語」なんてザラにありますし、その逆も非常に多いのではないでしょうか。

韓国や中国も歌詞の中に英語を挟むなんてごく普通の表現方法です。

別に日本だけがそうしている訳ではないと言うことですね。

ただ、英語やその他の外国語をその母国に当たる人が聞いた際に発音などで違和感を感じることはあるかもしれませんが、それもお互い様なので気にするほどのことでも無い気がします。

 

表現として英語を使う

「母国語+外国語」を使う理由として先程も挙げましたが、「メロディ内にスマートに言葉を入れる」というのがあります。

日本語だと直接的な表現になるので英語で少しぼやかした表現にすることによってサラッと聴けるようになる場合も多く、ある意味日本人らしい表現方法なのではないでしょうか。

他にも日本語だと歯が浮いて口から砂糖を大量に吐き出してしまうような甘い内容の歌詞も英語やその他の言葉にすることでかなり緩和されたりします。

もちろんその母国語の人が聞けば「なんやこれ、甘々&クサクサやんけ」となりますがそれは仕方ありません。

 

「どちらかに統一した方がいい」は表現の幅を狭めてしまう

統一すれば聴きやすいと思う人がいるのは確かですし、それを否定はできないのですが、表現方法に縛りを設けてしまうとその時点で音楽の可能性を狭めてしまう事になります。

ある程度の縛りがある方が曲を作りやすい場合もあるのですが、クライアントから依頼されて曲を作る場合でもなければ音楽というものは自由であるべきなのではないかと思うのですよ。

偉大なる先人たちはさまざまな可能性を模索して現在では当たり前に使われている音色、表現などを作り出してきました。そしてそこには言葉の表現も含まれます。

それらを生み出すためにはセオリーや縛りというものは邪魔な存在でしかなく、不要な壁を作り上げてしまうようなものです。

当然ジャンルごとに様式美があり、それらをきちんと踏まえることで美しい音楽になるということはもちろんですが、音楽というものを、表現というものを新たに作り続けていくには表現方法の壁というものは出来る限り取り払われておくべきなのではないかと言うのが私の考えです。

 

私は出来る限り日本語で表現するスタイルです。

ここまで表現の幅が…とか偉そうに書いておいて私が詞を書く際には出来る限り日本語で表現する形をとっています。

あ、日本語とは言ってもカタカナで表現できるレベルのものや誰にでもわかるレベルのもの、日本語に組み込まれているレベルのものは使います。せいぜいカタカナ単語レベルです。

また、複数の言葉が入るものにおいても「I LOVE YOU」や「STAY TOGETHER」、「FALL IN LOVE」程度の一般的なものは大丈夫だろうという判断で書いてます。

AメロやBメロが丸々英語とかそういうのは皆無です。そもそも英語歌詞書くのが苦手なので。

 

 

結構前に作った曲なのですが、見事に日本語のみです。英語もセンス良く組み合わせて作詞できる人は心から尊敬してます。

作詞という作業だけでも十分難しくて苦しいのに、そこに英語を組み合わせるだなんて…

作詞家さんって本当にすごいです。

 

まとめ

個人的には歌詞なんて響きが良かったり単純に「いい歌詞だな」と思えるのであれば形はどうでもいいという考えなので、やっぱり言葉の表現は自由でいいんじゃないかなって思います。

あまり考えが偏り過ぎると音楽を制作する立場としてはよろしくないですよね。

でも、ある程度のこだわりがないと作り手の魅力が伝わらない場合もあるので、その辺の線引きというのが非常に微妙で難しいです。

「いいものを作るために自由であるべき」ではありますが、あまりに自由すぎてしまうとそれは「歌詞」ではなく「単なる言葉の羅列」になる可能性も否定できません。

なんだかよく分からなくなってしまいましたが、「日本語+英語」であろうと「母国語オンリー」や「英語オンリー」であろうと「いいものはいい」ということです。こだわりは個人で持てば良い程度のもので、自分に合った音楽を聴けばいいということですね。

という事で今回もお付き合いいただきましてありがとうございます。

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